数センチ、もしくは数ミリの差で、ゴールがゴールでないかが決まる。この差はどれだけ広いのだろうと考えさせられた。前回のエントリーの最後にファウストついて書いたのでその結末をあっさり書いておこう。とはいえ内容的には実に微妙だった.......ひとつだけ言えるのは、彼らはまったく時代の影響を受けていないという事。これだけフリーフォーク勢やニューサイケの連中が世界中からわんさかでてくる状況なのに、彼らはまったく微動だにしない。化石のように、文化財のように彼らはそこにいいる、そうである事に自覚的なのかどうか、それが気になった。読書の方はその後情けない事に「小実昌さんのこと」は昔読んだという事を思い出した。その事はうすうす感じていたのだが、ある場面で
決定的に思い出した。記憶力には自信があったのだがすっかり読んだ事を忘れていたとは。ただ2度目とはいえかなり楽しく読めた。『リアルのゆくえ』も読破、第3部が秀逸。そこまでの1部、2部が長い上に対談の時期は2002年あたりなので、現在に比べると状況が陶然古いそこがやはりネックだな。『時効なし』の方は3分の1ほど読んだが、これは非常に面白い。話題の赤塚不二夫の泣けるエピソードも収録されていた。『天皇制国家と宗教』はほぼ読み切った。明治初期の神道国教化から挫折、そして仏教も取り込んだ国民教化政策への混乱ぶりが面白い。ここにさらに神道の中心は伊勢なのか出雲なのかという争いも加わる。この本を読んでいる途中に『出雲という思想』という本を購入、こちらはその明治初期の出雲、伊勢の争いに至る思想的背景などが判りやすく解説されている。合わせて読んだので非常に楽しめた。現在は『日本神話の英雄たち』という新書も併読中で、こちらはスサノオ等や、海幸彦、山幸彦等のエピソードをユング心理学を使って、解説するという本、ノリてきには中沢新一の一連のシリーズを思い浮かべてしまうが、文学的感性がこちらは希薄なので曖昧さがなくていい。いくつかのCDも購入したが一番衝撃的だったのが、メタリカの新譜!このCDはタワレコで試聴して購入したのだが、何か虫の知らせというのか、以前のアルバムまで聞く気も起きなかったのだが今回は自然とヘッドフォンを握っていた。そこには彼らの初期4枚のアルバムと同様なスラッシュメタルが展開されていた!不覚にもあまりの驚きでどうしていいか判らなくなった。フロアを駆け巡りたい衝動に駆られた。このアルバムを12年間待っていた。18歳の夏にこのアルバムがリリースされていたら....複雑な心境だ。単純に嬉しい反面、これが彼らの戦略じゃないかと、疑りたくもなるがこの音の前でもとりあえずはどうでもよくなった。高校時代はメタルのコピーバンドに明け暮れた、その頃のバンドのメンバーの顔が激しくフラッシュバックする。時間の経過というものに思いを馳せる。購入後何度か聞いているが、一つの特徴として音がよい。1stのガレージを臭わせるサウンド、そこにあった可能性が二つあったと仮にしよう。一つは80年代の綺麗なディストーションサウンドが見せたような、中音域を削ったいわゆドンシャリサウンド。そしてもうひとつは中音域と音の歪みをいかした初期パンクからの影響のある音。今回はもちろん後者の音。そこに絶妙なバランスでドンシャリ風のサウンドが現代的解釈で加算されている。しかしあくまで、中心は中音域と意図的な歪み(ギターの歪みではなく)。ここにレッドツェッペリンから始まるコンプレッサーの美学を感じてしまう。とにかく昔メタリカが好きだった人は買って損がない。(相変わらずのラーズのツーバスのヘタレっぷりが最高に泣ける!!!!)先週はあまりにもサッカーばかりみていたので、反動でたまには映画でもみたくなった。北野武「あの夏、いちばん静かな海」アンドレイ・ズビャギンツェフ「父、帰る」ソクーロフ「チェチェンへ アレクサンドラの旅」市川準「トニー滝谷」。立て続けにみる。「あの夏、いちばん静かな海」はかなり昔に一度観ていてもう一度観たいと思っていた。「父、帰る」は音も映像も話の部分も最高。「チェチェンへ アレクサンドラの旅」これも素晴らしくよい。主人公のおばあさんがずっと写っている、1人称の小説のような世界。俯瞰した視点ではなく目の前にある世界が人間にとって大切ではないのかという保坂和志の問題意識と重なるものを感じた。最後に僕のニューアルバム『dedication』が先日発売されました。詳しいことはまた次の機会に書きたいと思います。また今週の土曜日に円盤でライブ、来週の木曜日にはUPLINKでライブがあります。UPLINKのほうはトークショー付きという魅力的な企画です。今回はすべらないように気をつけます。
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