2010年09月27日
5月26日 ドレスデン
ヨーロッパツアー日記を付けようと思っていたけど、1日書いただけで力尽きてしまった。これは主に自分の怠惰のせいだけど、季節は嵐のように過ぎていき、とにかくあっという間だった。ツアー日記に関して、実はブログで後日アップできるように、手帳に自分用に手書きで書いたものがあるので、前半はそこから文字起こししていこうと考えてるけど、途中で手書きの日記も力尽きてしまったので、手書きで書いていない5月26日からの事も残して置きたいと思い今ようやく筆を起こした。日記風に時系列に書くべきなのか、今思い出せる範囲で書くべきなのか少し迷っているけど、思いつくままにダラダラ書いてみよう。5月26日からは、ドレスデン、ショルンドルフ、ルクセンブルグと三日連続のライブの予定が入っていた。昼過ぎくらいに、ベルリンから電車でドレスデンに向かい、3時くらいに到着した。ドレスデンの駅を降りて目の前に広がる景色は想像とは全然離れていて、日本の地方都市のよくあるショッピングモール街そのままだった。いきなりベルリンの旧東側の共産圏の世界から南大沢に帰ってきたような気分になってしまい。腹が減っていたので、ソーセージを屋台で買った。このソーセージはうまいのだが、とにかくケチャップの量がハンパなく多くて辛かった。地図でライブハウスの場所を確認した所、駅から真っ直ぐ行くだけなので、散歩と観光がてら路面電車は使わずに歩いて向かうことにしたのだが、これが大失敗で重い荷物を運びながら、2時間も歩くことに、途中でドレスデンのお城やエルベ川を見れたのはいいけれど、ライブハウスにたどり着くのに大変な思いをしてしまった。ライブハウスの近くまでくるとさすがに南大沢の雰囲気はなくなって旧東側の下北沢のような感じだった。リハーサルまではまだ時間があった。今日のイベントプロモーターはこれまでとは違って、完全にビジネスライクな人で、何故ならば今日の会場は500人くらいは入りそうなライブハウスだからで、その人に今日の宿泊場所を案内された。ライブハウスの近くに今日の宿泊場所があるのかと思っていたが、バンドアパートメント名付けられたその部屋はフロアの上の階にあったのだ。予定表には単にバンドアパートメントと書かれていたので、今日は馬小屋のような所に泊まるんだろうなと覚悟していたが、部屋は完璧に綺麗で新しく、これまでの旅で一番いい部屋だった。これには完全に予想外。to rococo rotのリハーサルも終わり、いよいよ自分のリハーサルで音の調整。音はでかいがあまりいい音ではなかったので、低域等の調整で時間がかかり、会場時間ギリギリになってしまった。フロアもでかいし、今日は凄い数の客がくるんだろうなと考えていたが、ライブ開始の時間に下に降りてみるとガラガラだった、これまた予想外で、今日はことごとく予想が外れる日のようだ。それでも40人くらいはいるんだろうか。会場が広すぎる。30分くらいの演奏をしたが、あまりウケてないようだった。to rococo rotのライブでも人はほとんど増えず、会場も盛り上がっていなかったようだ。初めてみるto rococo rotはジャーマンプログレッシブというか、クラウトロックの伝統に回帰したかのような演奏でドラムのリズム感が黒人のリズムに影響されていないという今ではあまり聞くことのできないタイム感だったので、そこは興味深かった。ライブも終わりto rococo rotの人達と親睦を深めていたら、これまた予想外の事実に今度は腰が抜ける思いをした。予定では明日のライブ会場まで彼らの車に乗っていけるはずだったのだが、マネジャーによるとそんな話は聞いていないという、とにかく覚束ない英語で話し合ったが、車が小さすぎて現実的には無理な相談だった。しょうがないので、電車で行くことなった。ショルンドルフという街が次の会場だったが、to rococo rotのメンバーに聞いてもどこかわからないくらい小さい街のようで、電車で何時間で着くのかさえも解らなかった。すでにかなり酒が入っていたので、その日は寝ることにして明日の朝早く起きて駅で聞くしかないという状況だった。。。
2010年05月25日
5/22夜
ナントからパリのモンパルナス駅に到着した時に、乗換のために北駅に向かわなければならなかった。バスの路線図を見てもよくわからないし、地下鉄はエレベーターが完備されてないので、この疲労と荷物を考えるととても使う気になれなかったので、タクシーを使う事にした。黒人のタクシーの運転手はやたら不愛想で、こっちの質問にも答えてくれなかった。タクシーの中では今夜9時キックオフのCL決勝の中継ラジオがかかっていた。今は8時40分キックオフまでの興奮が伝わってくる。ラジオからはモウリーニョやら、バロテッリやら聞き慣れた言葉が聞こえてくるのだった。ノード駅からブリュッセルへの鉄道は10時に出発、前半だけならどこかのバーでみれるかもしれない。ラジオの中継がマドリードからの現地中継に切り替わったときにちょうどセーヌ側をタクシーは渡り、なんだかよくわからないけど、CLの決勝に参加しているかのような錯覚を覚え混乱と興奮を感じ、逆に生きている感じがしなかった。北駅に着き、バーを探した。1件目のレストランはモニターが小さすぎた。通りの向こう側ではアイルランドから来た人達が大騒ぎをしている。詳しくわからないがラクビーのHcupのファイナルもあったようで、駅には銃を持った軍人が何人も歩いていた。2件目にみつけたレストレランでは満席のようだったが、外からモニターが見れた、まだ0−0のようで、ロッペンが見える、バイエルンのキーパーの名前はわからないが、ゴールキックのようだ。その時、中から店員が出てきて、『何が望みですか』と聞かれ、『コーヒーを飲めますか』と尋ねるとコーヒーはもう終わったという事で、隣の店はカフェだからと隣の店に案内された。食事をその店でとることも可能だったけど、少し高そうだったし、ちゃんとした食事をとる時間もなさそうなので、少しの間考えていた。その時すぐ右側で黒人と白人が喧嘩をはじめ、大勢の人達が集まって来た。首根っこをつかまれた白人は泣きそうな顔になっていた。今フランスでは3連休らしく、今日も街全体が浮かれていた。CL決勝の観戦はあきらめる事にして、私はホームに向かった。ライブをするために来ている訳だし、今は試合は見ないで、帰ってからゆっくりみたい気分になった、それにインテルが勝つような気はしていた、ブリュッセルへ向かう電車の中では近くに赤ちゃんを連れた夫婦がいて、赤ちゃんが泣き止まず、快適な旅ではなかった揚げ句途中で何度も止まり、11時23分にブリュッセルに到着予定のはずが、着いたのは12時半をすぎていた。駅で私を待っていてくれた。ハンズも帰ってしまっていて待ち合わせの場所にいなかった。呆然と今日はどうすれば良いんだと思案にくれたが、明日のライブ会場のオーナーの電話番号をメモしていた事を思い出し、電話をかけた。すぐに電話にでてくれて、ハンズが10分後に駅まで向かいにきてくれる事になり、その日の宿泊場所のオフィスまで送ってくれた。ハンズは一通りシャワー等の説明をすると帰ってしまった。その場所はWIFIがあったのでツィッターでインテルの勝利を知った。宇都宮さんのツィートでありがたい事に試合展開がわかった。インテルの優勝を知り、私は目の前のバーで祝杯をあげに行くことにした。今頃モラッティ会長も想像できないくらいの喜びの酒を飲んでいるだろう。外は急に寒くなっていたが、オープンテラスで夜中の3時まで、一人でビールを飲んでいた、となりではじいさんとばあさんがこんな時間なのに飲んでいて、特別な時間ではなくこれがこっちの日常らしい様子だった、店もしまりオフィスに戻ってすぐに寝た。
2010年03月17日
鮫洲
前回のエントリーのタイトルは『週末』。過去のblogを見えていたら、半年前にも週末というタイトルがあった。その時は金曜日に呑んでていたようだ。そう言えばそういう日もあったなと。昨日は渋谷にレコードを買いに行った。『sun circle』を購入まだ聞けてない。渋谷の街はあたり前だけど、いつ行ってもカオスのようだ。もしくは祭りかな。歩いている人のテンションが高い気がする。西荻を散歩して立ち止まる事はあるけど、渋谷では中々立ち止まらない。今日は仕事で鮫洲に行った。帰りの電車では芥川龍之介の『神々の微笑』と『報恩記』『おぎん』を読んだ。『神々の微笑』は古代史ファンにとっては興味深い。日本の神様とゼウスの会話、これは一歩間違えたらかなり危険な妄想だが、日本的文化の受容方法の問題は現代にも通じる。『おぎん』これは電車の中でしびれた。10Pでこれだけの感動とは。これも恐ろしいまでに現代的。森鴎外を読んでも感じたが歴史をテーマにする事でより普遍的なものに通じていくという不思議さを感じる。『おぎん』の中での犠牲というテーマは前に読んだ鴎外の『護持院原の敵討』のもつテーマとどこか通低するものがあるように感じるが『おぎん』の方が作者の精神のようなものが小説に出てきてしまっているように感じた。小説はもうどうでもよくて、実は今日ブログを更新したのは、インテル対チェルシーの対戦があるから。去年はインテルCL敗退のショックで会津に行ったのだが、あれから1年。時が経つのは早い。今年はどうなるんだ。そして敗退したらどっかに行こうかと思いつつも今年は勝ち抜ける気がする。
2010年03月15日
週末
春の訪れを感じつつ、冬が終わってしまう事への不安のようなものを覚える。30歳を超えたら、何故か冬が好きなった。もしかしたら、以前から冬が好きだったのかもしれないが、意識していなかったのかもしれない。春や夏が嫌いな訳では当然なく、夏の訪れは実は楽しみにしている部分はあるのだけど。冬は自分にとって制作に没頭できるいい訳になっているのかもしれない。冬眠せよ!家にいて大人しくしろ!と言われているようだ。そんな制作の時期も終わり、春が訪れようとしている。善福寺川沿いを半年振りに歩いた。シロサギが優雅に川を歩いている。橋の上でしばらく黄昏れていた。日曜日なので、親子で犬の散歩している人が多い。30歳代くらいの若い母親と小学生くらいの女の子。小さい犬を連れている、橋の上で、立ちすくむ自分をこの犬と女のが珍しそうに見ている。そう言えば髭全然沿ってなかった。怪しかったのかな。
2010年02月28日
ピアノ録音
一ヶ月ぶりに会うシバテツさんは髪の毛を短くしていて、別人のようにさわやかだったので、一瞬気づかなかった。この三ヶ月月末には上野の国立劇場の上にある音楽資料室で、ピアノの録音が恒例となっている。三ヶ月前はたしか、年末で、帰りにアメ横に行った記憶が残っている。その時はたしかアメ横で、パンクの人が着けているいるベルトを衝動買いしてしまったが、未だに一度も使っていない。Tシャツの季節になったらつけてみようかな。一ヶ月前はたしかもの凄く寒かった気がする。今日は春の訪れを感じさせる暖かな日で、ナントカバレエ団の公演とかでお金持ち風な人達に混じって国立劇場へ。録音を終えて帰りの山手の線で久しぶりに小説を読む。どうも小説を読んだ時にブログを書くらしい。森鴎外の山椒大夫。実はまだ読み終わっていない。これから続きを読もうかとおもっていて、何故今日これを読もうと思ったのかというと昨日テレビで、志賀直哉の小僧の神様の番組をやっていたから。私の1冊という番組だった。そういえば高校生の時に小僧の神様を読んだなと思い出しつつ、私もなんか久しぶりに小説が読みたくなり、長編を読む気力もないので、短編にしようと。三鷹に越してきたので、太宰でも読もうかと思ったけど、なんだが気が重くなりそうなので、出かけるときに玄関にあった文庫の中からいつも気になっていた山椒大夫を手に取った。この作品は人買いをテーマにした作品であるというのは覚えていたけど、昔読んだ時とはまったく違ってグイグイと作品に引き込まれていく。安寿と厨子王のに感情移入しすぎて、なかなか読み進まない。そのうちに三鷹まで着いてしまい、家に帰ってすぐにネタ作りを始めてしまって、今blogを書いている。
2010年01月18日
奈良日記
奈良に向かうJR関西本線の車窓から見える風景はまさに古代の大和。私には、弥生人のような服装の農夫まで見えているかのようだった。雨の中私は新幹線で名古屋に向かい、そこからはJRのローカル線を乗り継いで奈良を目指した。途中四日市で、40分の足止めを喰らう。雨の四日市から見える風景は工場地帯だった。そのまま電車を待ち、次は亀山でまた45分次の電車を待つ事に。亀山では途中下車をし、駅の目の前の食堂へ、鄙びた雰囲気で玄関からおかみがこちらを見ている。入りたくなかったが、何故か入ってしまう。ここで、亀山名物味噌焼きうどんを食べる。これは実はそんなにうまくない。特に食後に味が濃すぎるのか、口の中が異様な感じになる。コーラで洗い流す。この亀山からの車窓が絶景だった。いつか乗った会津鉄道にも劣らず、素晴らしい風景が。いくつかの山を越えると、そこは伊賀や柳生の里。まさかここで、柳生に行けるとは。よく調べずに来てしまったので嬉しい驚きと共に運命を感じるのだった。しかし奈良路を急ぐ私は、途中下車ができなかった。この先もまた絶景。木津川が窓の外に広がる。笠置付近が特に素晴らしい。4Mくらいはあるのではという巨石が河原にゴロゴロしている。雨と電車酔いで虚ろな状態であったが、奈良についたのは16時半、名古屋を出たのは12時半だったので、4時間かかった事になる。さすがローカル線。遠くまで来たもんだ。桜井方面に古墳を見物に行きたかったがこの雨と時間、断念し、パステルレコーズに向かい、寺田さんと会う。お茶をしてその後猿沢池や、奈良町見物。東大寺には何故か行かなかった。小雨と靄がかかった奈良の山々は眺めるだけで充分。その日は寺田さんと酒をのみ、明日の古墳見物に備えるために、早く寝てしまった。居酒屋で仕入れた情報によると私が目指す箸墓古墳は不便な所にあるということだが、あの関西本線に比べれば、私は既に40分待ちに慣れてしまったのだった。そして朝の6時に起き、7時は宿を出発、待望の古墳見物に行く。巻向でのホームから左側にこんもりとした丘と原生林がある、あれが箸墓だろう。駅を出てその丘を目指す。この後生まれて初めてみる古墳に圧倒されるのだった。言葉にできない。。。。。。。。。。。。何の変哲もない国道の脇に普通の住宅地の中にそれは、ただの空き地のごとく、存在しているのだ。箸墓古墳の入り口のすぐ脇には保育園がある。子供が泣いている。鳥居の前で私はレコーダーをセットし、フィールドレコーディングを始めた。そして今、そのフィールドレコーディングを素材にして作った曲を聞きながらこれを書いている!!!!
2009年12月09日
日々
日記なのにほとんど月記状態。サッカーが観れない日々になり、悲しく過ごしていたが、吉祥寺にいいサッカーバーを発見。クラシコのビデオを見せてもらう。さすがにクリロナとカカ、メッシ、ズラタンが一同に会す豪華さはなんだという感じ。この中だとカカの知力というかセンスのよさに脱帽した。レアルがすごくいいサッカーしていたのも嬉しい。バルセロナあいてにアウェー、ガチンコで戦うのはすごく勇気のいる事だ。レアルのプライドがなせる技で、あの負け方ならショックはないのでは。今日は3月にリリース予定の佐立君とのユニットluis nanookの打ち合わせで、恵比寿のディストリュビューターに打ち合わせで行ってきた。担当の方もやる気なのでこちらもすごく前向きになる。中古レコード特に90年代のテクノの12inchのレコードが現在まったくユニオン等に売っても金にならないかで、話が盛り上がる。迂闊にもその話で一番アドレナリンが出てしまった。その後『冷たい水』を観にイメージフォーラムへ。想像していたのはまったく違っていたが、ものすごくいい映画。ヨーロッパの知性と伝統を感じた。ラストは素晴らしすぎる。草枕の時もかんじただが、物語に置いて最後の場面というのはやはりすごく重要なんじゃないかと。それだけでも納得する感じ。
2009年11月10日
TOCHKA
恒例になってしまったがまたしても一ヶ月ぶりの更新。そして前回に続き何故か今体力の限界を感じている中での更新。この状態になるとblogを書きたくなるようだ。特に急いで書く必要もないのだが、blogは急いで一気に書いてしまう。文章のスピード感というよりは思考のスピード感。打ち込むタイプが次の文章を決めていく。今日これを書いているのは今渋谷のユーロスペースでレイトショー公開中の『TOCHKA』について、私はこの映画の膨大なフィールドレコーディングの素材を使って、あらたな音楽を作るという作業で携わらせていただいた。詳細は一番下のリリース先レーベルboidに載っているので、そちらを参照してください。視聴もできます。そして今日書きたかったのは、『TOCHKA』私は昨日また改めて観て、恐るべし傑作なのではないかという確信にいたったのだった。最後のシーンでは60秒くらい痺れが続いた。このような体験はいつぶりだろう。監督の思惑とはかけ離れているかもしれないが、私にはこの映画は『死とコミュニケーションと、救い』の絶対的、極限的な問いかけではないかと思った。極端に書くと結論はない。結論はないが問いかけはある。昨日のトークショーの鎌田哲哉は主人公の男は何故暴力の連鎖から抜け出せなかったのかということを疑問に感じていたのことだが、私には暴力の連鎖というよりは、女は何故男を救えなかったのか?こちらのほうに思考が回るのだった。男の絶対的な孤独。私は中盤あたりで、子供の頃に感じた死への恐怖を思い出していた。そして死後の世界があるという考えも可能ではないか、殉教していく人達、自爆テロを行う人々等々。思考は映画から大きく逸脱していく。最後に一つだけ、誤解されてしまいそうだが『TOCHKA』は暴力的な映画では全然ありません、が、コメントを寄せている七里圭も以下のように書いている『表現とは、未熟な己と見知らぬ他者に、刃を向けることなのだ。』然りである。上映後は打ち上げに参加。鎌田哲哉の素晴らしい人柄と情熱に刺激される。監督とはまたゆっくり話したいと思った一日だった。次は最終日の11/13に行こうと思っている。
TOCHKA
http://www.tochka-film.com/
Boid
http://www.boid-s.com/boid_products/488.php
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2009年09月29日
体力の限界
気が付いたら、一ヶ月も更新をしていなかった。まさに光陰矢の如し。なんか漢字が違うきがするが、今はもう体力の限界なので、調べる気力なし。土曜日は昼間に引っ越しの準備でそのままライブ会場へ。グレッグのライブはすばらしかった。私は30分のドローン。そのまま落合から西荻に移動して朝まで打ち上げ。今考えるとこれが完全に失敗。次の日もヘロヘロのまま、引っ越しの準備作業、そしてまたライブ。この日はhosomiさんとの初めてのデュオ、さすが熟練のテクニック。素晴らしかった。そしてこの日は西荻の焼き鳥屋へ、こりずに打ち上げ。西荻最後の夜を楽しんだのだった。今日はそのまま仕事に出たがこういう日に限っていつもより忙しい。さらに秋葉原から神保町まで、新品のIMACを運ぶというなれない力仕事まで。明日は雨らしい......引っ越しです。
2009年08月26日
仙台から東京へタフな週末
仙台駅で初めて会ったローレンスイングリッシュは、新幹線のチケットを買うために緑の窓口に並んでいた。黒いTシャツには、『とても会いましょう』と書いてあったので、すぐに彼と判別できたのだった。その後喫茶店でコーヒーを飲み、今回のオーガナイザーの藤野さんの車でライブ会場のカフェへ。車中でローレンスに河童はいるのかと聞かれ、冗談なのか、本気なのかわからなかったが、多分冗談だろう。リハーサルも無事終わり、開場したのだっtだが、お客さんがあまり入らなかった..残念だが仕方がなし、ライブの内容はよかった。ローレンスは酒もタバコもやらないので、イベント後彼のおすすめの仙台のラーメン屋で中華ソバを頼む。ホテルまで送って、その後は藤野さんの家で朝まで飲み会だった。UKフォークの名盤を何枚か聞かせてもらいつつ、最後は何故か荒井由美の『卒業写真』のリピートしかも間奏あけの変拍子のシンバルばかり永遠に聞いてしまったのだった。佐立君もワインを呑みはじめると、いつもの酔っぱらいモードに突入していた。当然次の日もまったく酒が抜けておらず、ヘロヘロになりながら、ホテルにローレンスを迎えにいく、昨日と同じTシャツだった。仙台駅まで送り、みそ汁を求め、ビックリドンキーで昼飯を食べる。最後に駅前の楽器屋でスプリングリヴァーブを買って仙台を後にした。ありがとう藤野さん。

